縄文時代って面白いですよね.なのに,歴史の教科書ではサクッと流されています.なので,各地の博物館で縄文時代の遺物の展示があるとついつい見入ってしまいます.土偶の美術性は相当高いと感じますね.
そんなこんなで図書館で偶然見かけたこちらの書籍を借りてみました.
基本的には土偶って,縄文人が当時食べていた植物をデフォルメして,人間みたいに手足を生やしたものだというのが筆者の説です.
例えばハート形土偶は割ったオニグルミだとか,中空土偶はシバグリだとか,写真を並べてみると確かにそう見えてきます.そしてその植物が当時そのあたりで入手可能で,食されていたであろうと述べています.
しかしいただけないと思うのは,周りの考古学者が彼の新説に乗り気でないからといって,その姿勢に批判的なまま自分の説をゴリ押ししているところです.一応このことには説明もあって,考古学者は「見た目が似ているのは単なる偶然」だということを経験しているため,そのようなアプローチに極度の警戒心を抱いているというのです.
一例として遮光器土偶が理由として挙げられています.こういうやつね.
遮光器と付けられたのは,土偶の目の部分が,北方民族が雪目を防止するためにつける「遮光器」に似ていたためですが,これが実はただの偶然だったらしいのですね.今ではこれが遮光器を模したものだという説を支持する考古学者はほぼいないらしい.では今ではなんだったことになっているのかは述べられていないのが気になりますが.いずれにしてもこのことが考古学者は似ているからとすぐに決めつけるのを良しとしない態度になったきっかけだそうです.だったら筆者も愚痴らず,自説にはバイアスがかかりがちなんだから,客観的にみんなを納得させられるような,自説を補強する材料をうずたかく積み重ねていけばいいだけだと思うんだけどなぁ.もちろんこのときには反例であっても自ら積んでいくことが研究の質を担保します.
私はまったく斯界の知識はないのですけど,彼の言うとおり,考古学者は誤った説が世の中に流布するのを恐れるがあまり,ひょっこり出てきた新説は即排除するということなんでしょうか?しかし一般人でも「今は」こういう説が主流としても「未来永劫」その説が通用するとは思っていないでしょう.歴史の教科書だって私が子供の時とは違うくらいですから.過去なのに常識が変わっていくってのも,成長している分野の証拠なんだから,失敗を恐れず,新説でも議論できる考古学界であってほしいです.
ちなみに筆者がこの遮光器土偶は何をモチーフとしていると考えているかというと,里芋だそうです.親芋小芋がくっついて塊のようになっている様子がモチーフになっていると.そう言われてみればなんとなくそう見えます.そして目は芋を外した時の跡らしい.確かにパキッと取ったら丸い跡が残りますよね.ただそこに横線が入っている理由がこれでは説明できないような.
ともあれ愚痴も含めて記述が冗長で straight forward ではないところが気になりましたが,食用植物をモチーフにしているという彼の説は面白いと思いますし,それを裏どりするための証拠集めもすすめているみたいです.ただ当事者が他説を声高に否定するのは研究者ののぞましい姿勢とは思いません.この本の書き方を見ると,折角新しい視点だと思っているの(であろう)に,議論の進め方が稚拙なために割を食ってる気がするんですよね.やりかたは気をつけた方が良いと思います.研究者は,評価は自分がするのではなくて,周りの人,後世の人がすることだということを頭に置いておかないといけません.
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